沖縄 SEA KAYAKING STATION テラワークス TEL:0980-47-7027
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コラム一覧

Vol.12 「職業はシーカヤッカー」

僕がこの仕事を始めたころ、「職業はシーカヤッカーです」と友人や会う人に言うと、たいてい「シーカヤッカーって何だ?」と訊かれた。説明するのも面倒なので、僕は「カヌー屋のことです」って答えていた。今でこそ、シーカヤックガイドという職業として、そこそこ成り立っているが、今から9年前、仕事してシーカヤックを始めたころは大変だったのだ。カヌーと言えば激流下りとか、オリンピック競技というイメージが強いのだろう。沖縄には川がないのでどうしてカヌーで仕事ができるのか、と随分不思議がられたものだ。そういうときはこう答えた。

「沖縄には世界に誇れる海がある。この海が仕事場です」と。

「Save Nature」「Low Impact」をコンセプトにしたテラワークスという店を開き、まずやったのはシーカヤックの普及活動。市町村や教育委員会に働きかけて、海に限らず北部のダム湖でやったり、あるいは身体障がい者のカヌースクールを開いたりと、機会があるたびに、シーカヤックの楽しさを教えてまわったんだ。

そうやってシーカヤックの魅力をいろんな所で広めていくうちに、僕自身、海や自然、あるいは出会った人たちからいろんなことを教えられた。この連載でも、シーカヤックで出会ったオジィ、オバァ、海岸線の話とか紹介してきたけど、まだまだ書きたいことはたくさんある。

ちょうどこの連載が始まった時期に、僕は普天間基地の近くの高台にある家に住むようになった。居間から海が見えるのが、その家を選んだ理由でもあった。当然、毎朝起きるとまず海を見るのが日課になった。牧港にある風力発電の風車が、その日の風力や風速を教えてくれるし、キャンプキンザー沖の波の立ち具合でその日の海の状態も分かる。天気予報よりも、自分の目で確かめた方が確実だ。

居間からの眺めで、もう一つ気になるものがあった。ちょうど一年ほど前、目の前に見える電柱のてっぺんから葉っぱが生えてきたんだ。おそらく鳥が落としたフンの中に何かの木の種が混じっていたのだろう。それにしてもこれはいったい何の木だ? 海をバックに風に揺れたり、夏の強烈な太陽光線を浴びたり、雨に打たれたり、小さいながらもけなげに生きている姿に、僕はとても親しみが湧いてきた。

去年の台風の時もその小さな体で何とか頑張っていたのに、ある風の強い日に枯れてしまった。「やっぱりな、電柱のてっぺんじゃ無理だったか…」と思っていたら数日後、なんと復活しているではないか。それも前にも増して幹が太くなって!

今、この木の向こうに見えるのは、着々と進むマリーナの工事風景。今日、キャンプキンザー沖には白波が立っている。上空をヘリコプターが音をたてて通り過ぎた。自然は決して不変なものではないと思う。変わらない風景に人はほっとするのだろうか。自然にはリズムがあり、時間とともに変わってゆくことを、シーカヤックは僕に教えてくれたのだ。

さて、去年の4月から続いた連載もこれが最終回。僕のつたない文章ではシーカヤックの魅力を十分に伝えられなかったかもしれない。一人でも多くのシーカヤッカーが沖縄に生まれることを願いつつ、僕はウミアッチャーを続けます。

(2000年3月)


2002年04月10日(水)

Vol.11 「極北の海を想いつつ」

2000年1月1日午前6時半過ぎ、「年末年始初日の出ツアー」のメンバーは夜明け前の平良湾(東村)へ漕ぎ出した。前の晩ちょっと飲み過ぎた僕はやや二日酔い気味。それほど高くもないのに、波の揺れがいつもより大きく感じる。漕いでは止まり、漕いでは止まり、沖合い1キロくらいのところまで来たとき、水平線の上にかかっていた雲の間から、オレンジ色の光がこぼれた。波間から歓声が上がる。だんだんと大きくなる2000年の初日の出を眺めながら、僕は不思議な気持ちになった。数千年前にも、こうしてシーカヤックの上から日の出を見た人がいたんだろうなぁ…。

シーカヤックの歴史は4千年とも5千年とも言われている。いやいやもっと古いと言う人もいる。いずれにしても、人類が創り出した乗り物では最も古いことは間違いない。どんな人々が創り出したのかと言うと、極北の狩猟の民。彼らは流木や海棲動物の骨で骨組みを作ってアザラシなどの皮を張り、その表面にクジラの脂を塗って防水加工した船で、アザラシやクジラなんかを追っかけていたんだ。

スピードと機動性を高めるために船体をきわめて細くした代わりに、安定性には多少目をつむることにした。周りは氷の海。転覆して海に落ちたら1分もたたないうちに意識は無くなる。不安定な船を補ったのは乗る人の技術だ。転覆してもパドルを使ったままの状態で起きあがるロールはその代表的なテクニックの一つ。同じシーカヤックでも、乗る人のテクニックでその性能が格段に違ってくる。そこがシーカヤックの奥の深さなんだ。

この船は軽くて速くて小回りが効くという素晴らしい乗り物だったが、唯一、温度が上がると、船体の表面に塗った脂が溶けるという欠点があった。だから、このシーカヤックは南の暖かな地方には広まらなかった。南の海で生まれたのは、木をくり貫いて創る船だった。沖縄のサバニも南方系の船だ。

北の海で数千年の歴史を刻んできたシーカヤックは、プラスチックやポリ塩化ビニール、FRPという新素材の登場で世界中の海へ劇的に広まっていく。新しい旅の道具、手段として、多くの人たちがその魅力にとりつかれた。つい数十年前のことである。僕たちはシーカヤックの革命期にいると言ってもいいだろう。しかし、素材や形は違っても、人の力で進むという本質はまったく変わっていない。

僕は、これまでシーカヤックでの沖縄本島一周を6回経験している。本島から慶良間諸島、久米島まで行ったこともあるし、本島から島伝いに北上して奄美まで行ったこともあるけど、普段漕いでいるのはほとんど本島周辺の海だ。今、体力があるうちにやってみたいのは、本島から慶良間、渡名喜島、久米島、粟国島、伊是名、伊平島、与論と漕ぎ渡って、沖縄本島を遠回りに見て、感じること。沿岸沿いに一周する旅とは、また違った沖縄本島が見えてくるんじゃないだろうか。名付けて「沖縄本島そとうみの旅」、いつか実現させたいものだ。

(2000年2月)


2002年04月10日(水)

Vol.10 「年の初めに想うこと」

西暦2000年が明けた。今年はどんな年になるんだろう。僕は相変わらずシーカヤックでウミアッチャーしていることは間違いない。

今年の正月はコンピューターの2000年問題で、旅行には行かず、家族そろって家でのんびりという人も多かったのではないだろうか。家族、やっぱりいいもんだ。

だれでもそうだろうが、僕も結婚して子供ができたときは本当にうれしかった。そして家族を守らなければならないと思ったとき、一生の仕事として選んだのがシーカヤックだった。これなら負けない。いや負けられないのである。家族ができた途端、そんな気になるんだから、男って単純な生き物だ。

二人の娘は、4、5歳のころからシーカヤックに乗せている。下の娘は二人艇の前の席でよく寝たもんだ。よほど気持ちいいのだろう。もしかしたら、海に浮いている感覚が母親のおなかの中にいた時の感覚に似ているのかなあ。確かに僕ものんびり漕いでいるときは気持ちよくてボーっとしてしまうときがある。シーカヤックで海に出るということは、胎内回帰のような感覚があるのかもしれない。

その娘たちも小学校5、6年過ぎたころから一緒に乗らなくなった。まあ、女の子だから仕方がない。でもあと10年もすれば、また一緒に乗れる日がきっと来ると思っている。その日を楽しみにしておこう。

シーカヤックと親子、というと『息子とカヌー』という本を思い出す。これは中年男が離婚のショックから立ち直るために二人の息子とカヌーでカナダからアマゾン川河口までの旅にでるというノンフィクションだ。のんびりカヌーで旅するなんていいなあ、と思ったら大間違いで、メキシコの軍隊に身ぐるみをはがれるわ、嵐には遭うわ、踏んだり蹴ったりの旅に、とうとう次男は音をあげて途中で帰ってしまうんだから。そんな旅を続ける二人は、ささいな事でけんかして口をきかない日もあるけど、親子のきずなは一層深まり、ついに2万キロを漕ぎ切る。父親はこの旅の後、自転車やカヌーで世界各地へ出掛け、一方旅の間ギターの練習を続けていた長男は、後にプロのギタリストとして活躍することになる。親子でのカヌーの旅を機に、それぞれが自立して生きていく、というのがさわやかでいい。

沖縄でも、僕の知り合いの仲地さんという人が数年前、当時小学6年生だった息子と夏休みに二人乗りのシーカヤックで沖縄本島を一周している。海という自然の中では優しさだけではすまされない。それが時には命取りになることだってある。父親は息子をしった激励し、子どもは父親をサポートする。そこには男同士の本気のぶつかり合いがあるはず。男は海で強くなり、優しくなれると思う。昔の映画のセリフじゃないけど、「男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格はない」のだ。と、年の初めはキメておこう。

(2000年1月)


2002年04月10日(水)

Vol.09 「冬の海でスキルアップ」

夏、あれほどにぎやかだったビーチも、ミーニシが吹き始めると人影はまばらになる。

先日、1DAYツアーで恩納村の海を漕いだ。夏場、ダイビングをする人でいっぱいの恩納ポイントも随分と静かだった。冬場の方が海の透明度は高いから、ちょっともったいない気もする。

もちろん、ダイビングが大好きな人は冬場でも潜っていると思う。

シーカヤックも冬場は決してオフシーズンじゃない。むしろ、すでにシーカヤックをやっている人にとっては、技術を高めたり、海への知識や経験を深めるには絶好の季節なんだ。

真冬の海でも沖縄の海は水温が二十度を下がることはない。とはいえ、防寒の装備は必要だ。まず上は化繊のアンダーウエアに防水性のある上着(アノラック、レインウエアなど)、下は同じく化繊のアンダーウエアに化繊の短パンを重ねる。ちょうど股引の上に短パンを履いているようなスタイルになるんだけれど、それほど格好悪いものではない。

何故化繊のアンダーウエアかというと、それは吸水性が低いから。水をよく吸う木綿のウエアは着心地は良い反面、なかなか乾きにくいから、寒い時のアウトドアには向かない。

水や汗で水分を含んだウエアを着たままで冷たい風に吹かれると、体感温度はぐんと低くなるからだ。その点、アウトドア用の化繊のアンダーウエアは水を吸収しにくい上に、素早く蒸発させる性質があるんだ。

冬の海は風が強く、波も高い日が多い。そんな海で漕ぐと自然に、力強く安定したパドリングが身についてくる。静かな海でのんびりするのも良いが少々荒れた海を漕ぐのもそう快感がある。

たとえて言えばオフロードでマウンテンバイクを乗りまわすような感じだろうか。

シーカヤックはもともと極北の海で生まれた船だ。冷たい海でひっくりかえったら、数分で意識はなくなる。

そのために編み出されたのがロールという技。

シーカヤックから抜け出さずにパドルをテコのようにつかっておきあがる方法だ。この技術を身につければ荒れた海で漕いでいる時の安心感が全然違ってくる。

一見難しそうに見えるけど、練習を積めばだれでもできるようになる。冬場は長距離のツアーが出来ないぶん、しっかりとパドリングを磨く。そうすることで夏場のツアーが余裕をもって楽しめるというわけだ。(ちなみに僕のショップではロールを含めたパドリング技術を身につけるためのスクールも開いているので、興味のある方はぜひ参加して欲しい)。

しかし、トレーニングになるといっても限度がある。

風速十メートル、波の高さ2.5m。これ以上になったら、僕は家でシーカヤックの手入れをすることにしている。岩でこすれた傷を埋めたり、ワックスをかけたり、そんな作業をしながら頭のなかでウミアッチャーする。

「瀬底島のおばぁんとこのソバ食いたいなあ,慶留間島のおじぃは元気かなぁ、今年の夏生まれたウミガメたちは無事に育っているかなぁ、ザトウクジラは北の海からもうこっちへ向かっているんだろうなぁ。」

そんなことを考える時間もまた楽しいものだ。

(1999年12月)


2002年04月10日(水)

Vol.08 「キノコ岩(奇岩)巡り」

沖縄の海岸線の特徴的な景観の1つにキノコ岩がある。

根元が細くくびれたキノコ岩は琉球石灰岩が長い年月を経て、波や風、貝などの浸食によってできる。ちなみに、1年間で侵食されるのは3ミリ。シーカヤックであちこちにあるキノコ岩を巡るのもなかなかいいもんだ。

僕はこれまでに、シーカヤックで本島1周を6回やっている。おかげで、ほとんどの海岸線は頭の中にインプットされているんだ。

夏の間によく行く恩納村谷茶から瀬良垣にかけての海岸線は、実にいろいろな形をした奇岩がある。2つ並んだ夫婦岩、ウサギやゴリラに似た岩、2重に重なっている岩は、お腹がすいているとハンバーガーに見えたりする。この辺りは毎日行っても飽きないコースだ。

本部半島では、備瀬崎から今帰仁のウッパマにかけての海岸線もキノコ岩の多いところ。漕ぎ疲れたら岩陰に上陸して、何にもしないでボーッとしているのは、最高のぜいたくである。

山原の東海岸、東村天仁屋崎から名護市の安部オール島にかけての景観も実にいい。約3キロの海岸線には人工物がほとんど無いのだ。その中で天仁屋崎近くにあるパン崎というトンガリ頭の奇岩は、シーカヤックから眺めていると、思わず手を合わせたくなる岩だ。

東海岸をずっと南下して、与那城町の浜比嘉島の西側はキノコ岩のメッカと言っていい。そのたくさんのキノコ岩の間をシーカヤックで通り抜けるのも楽しいものだ。ここにあるキノコ岩の1つに僕は「博士岩」と名付けた岩がある。堂々としていて実に威厳がある。

以前は知念村から玉城村にかけての海岸線もキノコ岩がたくさんあった。しかし、近年、海岸線の工事や湾口の拡大工事などによって、自然の中にあるキノコ岩は無くなりつつある。かろうじて新原ビーチに残っているぐらいだ。

こういうキノコ岩を近くで見ていると、ハトやアジサシの巣があったり、岩のくぼみのわずかな土のところに植物が生えていたり、自然のたくましさを感じさせられる。これもシーカヤックならではの発見だろう。

僕がシーカヤックでウミアッチャーを始めてから、9年になろうとしているけど、この間にも沖縄の海岸線はずいぶん変わってしまった。コンクリートで固められて苦しそうなキノコ岩や、湾港拡張工事で漁港の中に閉じ込められてしまったキノコ岩を見ると、かわいそうな気がしてくる。

今から25年から30年前、本島には自然の海岸線が70パーセントくらいは残っていたと思う。今ではどうだろう。シーカヤックを漕ぎながら見た限りでは20パーセントくらいしか残っていないんじゃないかなあ。

長い時間をかけて変化していく自然のリズムと、すさまじいスピードで自然を変えていく人類。その狭間を感じながら、シーカヤックからの観察を続けていきたいと思うこのごろである。

(1999年11月)


2002年04月10日(水)

Vol.07 「冒険家・河野兵市さんと漕ぐ」

河野兵市さんという人をご存知だろうか。

日本人として初めて北極点単独徒歩到達を成し遂げたり、リヤカーを引っ張ってサハラ砂漠を横断したり、アラスカのユーコン川をイカダとゴムボートで下ったりと、世界を股にかけた筋金入りの冒険家だ。

彼が次に挑戦しようとしているのが2001年に北極点を出発し、徒歩とシーカヤックで故郷の松山まで帰ってくるという旅だ。そのトレーニングを兼ねて、今年の6月、河野さんは沖縄本島から四国の松山までシーカヤックで漕ぐという旅に出た。出発したのが6月20日、僕は宜名真から辺戸岬までを一緒に漕いで旅立つ河野さんを見送った。その時の約束が、大分の佐賀関からゴールの松山まで再び一緒に漕ごうということだったんだ。

今年の夏は台風が幾度となく接近して心配していたけど、河野さんは沖縄から島伝いに鹿児島を経て宮崎まで北上。途中、ロシアへの調査で一時中断したあと、9月4日から後半の旅がスタート。

宮崎、大分と北上、そして河野さんとの約束の日が来た。9月16日、3ヵ月ぶりに再会した河野さんはたくましく日焼けしていた。

翌17日、大分の佐賀関を出発、豊予海峡を渡って佐田岬を目指す。佐賀関から佐田岬までは20キロほどで、そうたいした距離ではない。しかし、ここは潮の流れが速いことで有名。最も速い所は時速6ノットもあるらしい。

6ノットだって!向かい潮だと全力で漕ぎ続けなければ前には進まない速さじゃないか。できればそういう所は漕ぎたくないなぁ、と思っていたらまんまとはまってしまった。前の方から波が押し寄せてきているなぁと思って気付いたときにはその波の中。実際には、波が押し寄せて来たのではなく、僕たちの方がどんどん吸い込まれていっていたんだ。

2時間、ほぼ全力で漕ぎ続けてようやく愛媛の佐田岬に到着。この豊予海峡、地元では速吸(はやすい)瀬戸と呼ばれているんだけど、まさしく速吸だよなぁ。

昔のことを言うと、僕が学校を卒業して初めて就職した所がここ愛媛。実に29年ぶりだ。それもシーカヤックで来れるなんて、不思議な縁だ。29年ぶりといっても海から見るのは初めての光景ばかりだ。だから1日中漕いでても飽きない。入りんだ入り江、その奥にはのどかな漁港があったり、静かな漁村があったり、シーカヤックでのんびりウミアッチャーするにはもってこいの海だ。

そして9月19日、無事ゴールの松山に到着。この日は地元のシーカヤック十数人が伴漕してくれた。ここでの河野さんの人気はすごい。彼はこの町のヒーローだ。いや今までの経歴からすれば、日本を代表する冒険家の1人と言っていい。河野さんの名がこれまであまり知られていないのも、彼があまり人前に出たがらなかったからなんだ。

別れる前、河野さんはこう言った。

「諸喜田さん、今度は一緒にベーリング海峡を横断しようよ」

うーむ、やたら血が騒ぐことを言ってくれるわい。

時間と資金があればぜひ行ってみたいよなぁ。

(1999年10月)


2002年04月10日(水)

Vol.06 「本島-慶良間横断ツアー」

前回の「本島1周ツアー」に続いて、今回はこれも今年初めて一般向けツアーとして実施した「本島―慶良間横断ツアー」のことを紹介しよう。

8月18日午前10時、瀬長島を出発。天気は晴れ、南西の風6-8m、波の高さ1.5mという絶好のコンディションだ。参加者は夫婦1組と男性2人、それに僕を含めたガイド1人の計5人。

初日は前島までの約25キロを漕ぐ。スタートから1時間、チービシを過ぎたあたりから予想通り潮の流れが速くなる。さすが外洋だ。ちょっと気を抜くと北に流される。沿岸沿いを漕ぐときとは違う緊張感。それ以上に外洋の開放感はたまらない。

初日の昼食は洋上ランチ。漕ぐ手をしばし止めて、素早くおにぎりやカロリーメイトなどで済ませる。目標の島影は見えているんだけど、なかなか近づかない。振り返ると沖縄本島の大きさも、あんまり変わらないんだなぁ、これが。

出発から5時間でようやく前島に到着。ここには昭和37年まで人が住んでいたので、昔の桟橋や住居跡が残っている。

シーカヤックでいく無人島でのキャンプは必要最低限の装備しか持っていかない。明かりは1人1人のヘッドランプだけ。食事が済んだらヘッドランプも消して、月明かりの下で過ごす。島の砂浜には絶えず風が吹いていて夜は快適。蚊もいない。遠くに見える本島の夜景は「洋上に輝く宝石」とでも言おうか。空には満天の星。無人島でのキャンプほどぜいたくなキャンプはない、と僕は思う。

翌日は渡嘉敷まで漕いで港に上陸し、ビールと泡盛、氷を仕入れる。これらも必要最低限の装備(?)の1つだ。港から東海岸沿いを漕いで北上。北端に近い海岸にある滝で天然のシャワーを浴びる。塩分を洗い流すととても気持ちいい。

風と波が強くなってきたので、2日目のキャンプ地は渡嘉敷島の北に浮かぶ儀志布島から渡嘉敷島と阿嘉島の間にある安室島へ変更する。ここも無人島だ。島の東側でシュノーケリングを楽しむ。このあたりは、潮の流れが速いせいかサンゴの白化現象もあまり見られない。色とりどりのサンゴの群生は見事だ。

ところで、慶良間島には面白い名前の無人島が多い。儀志布(ぎしっぷ)島、安慶名敷(あげなしく)島、向楽(むからく)島、そして傑作なのが伊釈加釈(いじゃかじゃ)島。「いじゃかじゃ」なんていったいだれがつけたんだぁ?

3日目は阿嘉島、嘉比島と周り、座間味の阿真ビーチにあるキャンプ場でキャンプ。ここは一般のキャンプ場なので、周りのグループはみんなフル装備だ。自分たちのテントサイトがなんだかわびしく見える。でも僕たちには「那覇から漕いできたんだもんね」という自負がある。

4日目の最終日、帰りは座間味からフェリーを利用する。シーカヤックは貨物として乗せることができるから便利だ。

シーカヤックで沖縄本島から慶良間へ渡ることは決して冒険じゃない。それはシーカヤックの旅の1つなんだ。

(1999年9月)


2002年04月10日(水)

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