僕がこの仕事を始めたころ、「職業はシーカヤッカーです」と友人や会う人に言うと、たいてい「シーカヤッカーって何だ?」と訊かれた。説明するのも面倒なので、僕は「カヌー屋のことです」って答えていた。今でこそ、シーカヤックガイドという職業として、そこそこ成り立っているが、今から9年前、仕事してシーカヤックを始めたころは大変だったのだ。カヌーと言えば激流下りとか、オリンピック競技というイメージが強いのだろう。沖縄には川がないのでどうしてカヌーで仕事ができるのか、と随分不思議がられたものだ。そういうときはこう答えた。
「沖縄には世界に誇れる海がある。この海が仕事場です」と。
「Save Nature」「Low Impact」をコンセプトにしたテラワークスという店を開き、まずやったのはシーカヤックの普及活動。市町村や教育委員会に働きかけて、海に限らず北部のダム湖でやったり、あるいは身体障がい者のカヌースクールを開いたりと、機会があるたびに、シーカヤックの楽しさを教えてまわったんだ。
そうやってシーカヤックの魅力をいろんな所で広めていくうちに、僕自身、海や自然、あるいは出会った人たちからいろんなことを教えられた。この連載でも、シーカヤックで出会ったオジィ、オバァ、海岸線の話とか紹介してきたけど、まだまだ書きたいことはたくさんある。
ちょうどこの連載が始まった時期に、僕は普天間基地の近くの高台にある家に住むようになった。居間から海が見えるのが、その家を選んだ理由でもあった。当然、毎朝起きるとまず海を見るのが日課になった。牧港にある風力発電の風車が、その日の風力や風速を教えてくれるし、キャンプキンザー沖の波の立ち具合でその日の海の状態も分かる。天気予報よりも、自分の目で確かめた方が確実だ。
居間からの眺めで、もう一つ気になるものがあった。ちょうど一年ほど前、目の前に見える電柱のてっぺんから葉っぱが生えてきたんだ。おそらく鳥が落としたフンの中に何かの木の種が混じっていたのだろう。それにしてもこれはいったい何の木だ? 海をバックに風に揺れたり、夏の強烈な太陽光線を浴びたり、雨に打たれたり、小さいながらもけなげに生きている姿に、僕はとても親しみが湧いてきた。
去年の台風の時もその小さな体で何とか頑張っていたのに、ある風の強い日に枯れてしまった。「やっぱりな、電柱のてっぺんじゃ無理だったか…」と思っていたら数日後、なんと復活しているではないか。それも前にも増して幹が太くなって!
今、この木の向こうに見えるのは、着々と進むマリーナの工事風景。今日、キャンプキンザー沖には白波が立っている。上空をヘリコプターが音をたてて通り過ぎた。自然は決して不変なものではないと思う。変わらない風景に人はほっとするのだろうか。自然にはリズムがあり、時間とともに変わってゆくことを、シーカヤックは僕に教えてくれたのだ。
さて、去年の4月から続いた連載もこれが最終回。僕のつたない文章ではシーカヤックの魅力を十分に伝えられなかったかもしれない。一人でも多くのシーカヤッカーが沖縄に生まれることを願いつつ、僕はウミアッチャーを続けます。
(2000年3月)

